理解できない、したくない!
父とのエピソードを書いていて思い出しましたが、私はもともと人間関係に心底絶望していました。
人と人とは理解しあうことはできないんだ。
親子関係、友人関係、先生と生徒、兄と私。。
人は何を考えてるかわからないから、突然怒ったり、急に優しかったり。同じことをしても返ってくる反応はまちまちだったから、だんだん何もしないことが楽になっていきました。
博打のような恐怖から逃れるために、感情を麻痺させるようにして、凌いでいました。
わけがわからないことに対する恐怖が、私の人生を支配していました。
学校では「人間」については何も教えてくれません。義務教育ではせいぜい人間は細胞の塊であることくらいです。
私は
人間とは何なのか?
生きることとはなんなのか?
知りたくて医療道を志しました。
それがわかれば、人と人とが理解しあう方法もわかるかもしれないと、淡い期待を抱きながら。
でも、学べば学ぶほどわからなくなりました。
結局、人間とはなんなのかもわからないまま看護師として働き始め、悩みばかりが募りました。
現場では、病気ばかりに焦点を当てて、「その人」
をみる余裕が全くありませんでした。
ただただ、こなさなければならない業務が増えるばかり。
それどころか、「理解できない、理解してもらえない」が無意識に蓄積していき苦しいばかりでした。もう理解できないし理解したくもない!
そんなときに出会ったのが、nTech でありその技術の創始者Noh Jesu氏でした。
この出会いの衝撃は今でも鮮明に思い出すことができます。
人と人とが理解しあえる技術があるなんて思ってもみなかったのですから。
つづく